よく占星術は統計だといわれることがあります。
確かにそういった部分も否定できませんが、だからといって全てが統計のように一意に出てくるものではありません。
■占星術は「技術」か「神秘」か?:
おお、いきなり大きく出てしまいました(笑。技術か神秘か?判るわけないですよ、そんなの。
とも言ってられないので、ちょっとした私的考察。
良く言われるのは「占星術は統計学だ」と云うもの。これは「是でもあり否でもある」と、わたくしなぞは考えております。場合によりけりだろう、とはこれ浅薄かつ不透明な態度ですが。
占星術でよく「予言」が行われ、それなりの確度で的中している(と思われる)のは、ひとつには、「蓄積されたデータとしての過去の事例」が豊富であることが挙げられるでしょう。裁判じゃないですが、ある特定の天体の状態に対して発生した事件(戦争や天災など)例が多ければそれは「高確率での事件発生を予言する星の配置」と言えるわけです。事例が豊富であればあるほど確度は上がり、偶然性よりも必然性が強調されて「予言」「予兆」と見なされやすくなります。
過去の事例を引いて、観測によって予測される配置を元に行われる場合、これは神秘というよりもデータに乗っ取った変異予測であって、株価の予想とさして変わりない「技術」であると、まぁ、わたくしなぞは思う訳です。良く「ホロスコープ」の提示がされたりしますが、アレは正に、計算式によって予想される「もっとも可能性の高い星の配置」であり、そこに付与された「予言」は、過去事例から鑑みて「もっとも発生する可能性の高い事件」であるわけです。これはやはり技術であって「神秘」なるものとは一線を画していると思います。
そもそも「ホロスコープ」の語源はギリシア語の「時間=HORO」と「見るもの=SKOPOS」の合成語なので、ある種の現象の発生時間を「見る」のが占星術の意義なんですから。
一方で、個人の「ホロスコープ」を読み解く場合、一見、既述の手法を当てはめれば可能であるかのように思えますが、さにあらず、個人を「見る」占星術というのは、意外に歴史が浅かったりするものです。現今行われている「個人の運命を知るための」星占いの原型は17世紀の占星術師、ウィリアム・リリーによる個人客相手のホラリー占星術がその走りじゃないかと思います。もっとも、彼が現われる以前にも個人客相手の占星術師がいなかったわけではないのですが、その多くは上流階級や王侯に限定され、その内容も王位継承や遺産横奪に絡む暗殺や謀殺が中心であり、少なくとも「一個人の運命」としての占星ではなかったのです。
ウィリアム・リリー(イギリス・1602~81年)の手法は相談者によって質問が行われた時間或いは占うべき事件の発生した時点のホロスコープを解読する「ホラリー占星術」で、その顧客の多くは中産階級の主婦が占めていたそうです。彼女らは夫の蒸発や従軍後の生死、航海の安否を気遣ってリリーの門戸を叩き、占いを望んだそうで、彼が残した顧客のホロスコープはケースブックとして保存されています。17世紀からと言うと、個人相手の占星術はたかだか400年足らずで、大局を占う国家占星術から見れば箸にも棒にも引っかからない歴史(わたくしが言ってるんじゃなく、ホントにある意見なんですよ・と、責任転嫁)だったりします。まぁ、その代わりと言っては何ですが、心理学者による占星術の信憑性や妥当性を統計学の援用による確認作業なども行われていますので(ユングによる実験やリズ・グリーン博士らが設立した心理学・占星学研究センターとか)或いは国家占星術よりずっと速やかに個人占星術の事例が蓄積されてゆくかも知れません。
で、わたくしの結論としてはですね。
「国家・社会占星術は一種の技術、個人占星術は多分に占者の資質によるところの大きい神秘系」ってとこです。
ちょっと日和ってるかな…。