中南米を代表する占星術といえば、マヤでしょう。
マヤ文明の文化を継承したアステカも高度な天文学を持っていたそうですが、現在では全く上方が残っていません。
僅かに解読されている部分で明らかなのは、アステカの暦法は20進法を採用した1年260日の占星歴=トナルポワリと1年を365日とする農業歴=シウポワリのふたつを利用していたことです。
このシウポワリはひと月を20日として18ヶ月、これにネモンテミと呼ばれる5日間を足して1年と定めているのですが、このネモンテミに相当する5日間はエジプト暦にも見られます。
マヤの天文学に戻りますが、マヤ暦というのは驚異的なほど精密なものでした。
宇宙人の力で作られたといわれるほど、すごい知識を技術を持っていました。
マヤの天文学では1年を365.2420日と算出していたのですが、この数字は現在の技術とコンピューターによって導き出された数字との誤差が僅かに0.0002しかないほどでした。
他にもマヤ人は水星の運行周期、火星の運行周期も持ち、月の周期29.5302(実際は29.53059)をもかなりの精度で出していました。他にもヨーロッパでも18世紀にならないと発見されなかった天王星・海王星の存在も認識していました。
これらのことを人間の目と知恵だけで計算されたということに、脅威すら覚えます。
マヤ・アステカの緻密な暦法と天文学の発達は、すべて占星予言のために行われたとされています。アステカに伝わる伝説では蛇神・ケツァルコアトルが「一の葦の年に帰還する」との予言を残し、アステカではケツァルコアトルの帰還は帝国の終焉と考えられてきました。或いはその時期をより正確に知るべく発達したと言っても過言ではないかもしれません。