「子供は親を選べない」
そんな意味の言葉をよく耳にします。
小さな子供の人権を守るためだったり、親にむけて子育て教育の場面で使われることが多いかもしれません。
とても大切な役割を持った言葉だと思います。
でも…
「親は子供を選べない。どんな未来を与えてあげられるかなんて約束出来ない。世の中には逆らえない運命があるのだから。」
親だって理想としていた「子供」を持てるとは限りません。
子供という存在は、親の分身であって別人格、純粋で残酷です。
子供の言い分があるのなら、親の言い分があっても悪くはありません。
マヤのデイサインが持つ特性や神話から読み取るマヤの宇宙的思想観、マヤの生命樹から占うその人の運命などを紐解きながら学んでいると、様々なことが理解でき、また繋がっていきます。
マヤ占い的にみた親子関係を少し紹介してみようと思います。
マヤ・ツォルキン暦研究家のメムノシス・Jr.氏はこう言っています。
「私たちはツォルキン暦を中心としたマヤ暦を習得することによって、人生の時間の流れについても深い知識を獲得することができるのです。全ての人は『心の刻印記憶』を持って生まれてきているのですが、これはその人が生まれた日のエネルギーが、心に深く刻まれるからです。
別の言い方をすると「人間は、その人が望む意味の日を選んで生まれてくる」といった方が適当かもしれない」と。
13の数字と20のデイサインが組み合わさり、260日のマヤ・ツォルキンを形成してはまた1に戻るという時の循環思想。
いのちも同じように戻るという輪廻の思想がマヤにはありました。
人間はデイサインを選び生を受けるように、天使は自らの修行に適する場所として「親」や「家族」「国」「時代」「環境」を選んで生まれてきます。
もしかすると生まれてきた時、間違えてしまった!と思うこともあるかもしれませんが、それはそれで仕方ありません。
人間の肉体に入ってしまったのもまた天使の運命なのですから。
肉体を作ってくれたのは両親の愛であり、営みであり、栄養です。
その肉体に自由な魂(マヤではナーカルと呼ばれています)が守護天使となって付着。
ナーカルは誕生日のデイサインとなって、私たちの運命を主宰する「顔」「守護霊」となって、人の命を繋いでいきます。
過去、世で深い縁があってその両親を選んで生まれてきている場合もあれば、全く初めての出会いという場合もあります。
時に苦しみを分かち合うために選ばされた親であったり、お互いが成長するために出会った親子の場合もあるはずです。
ゆえに、親の言葉に傷ついたり、傷つけあったり、子どもに苦労させられたり、冷たくされたりすることもあるのです。
マヤの生命樹は、親子関係を知るきっかけを教えてくれます。